(原発推進)電力中央研究所論文のウソと疑問点
井上大栄(電力中央研究所)論文のウソと問題点
1.「結果論」で原発予定地周辺の危険な断層を予知できるとする井上大栄(電力中央研究所)論文
従来、電力各社は原発建設に当たって周辺住民に原発周辺には活断層がないので原発の直下で大地震は起きないので安心してくださいと説明していました。ところが対応する(地表)活断層がないのに鳥取県西部地震が起きたので、「活断層が周辺にないので安全です」と言えなくなって困った電力各社は共同で設立した電力中央研究所の井上大栄氏らに調査させ、井上大栄氏らは付近の日野町に活断層を発見したとして、それが過去の出雲地震(880年)も引き起こした活断層と結論し、「結果論」でこの地方のM7クラスの地震を事前に想定可能だったと主張されてます。そして周辺地域において原子力発電所用地の選定・耐震設計において必要な地震規模の事前予測が可能と結論付けられてます。(注1)
単に井上氏が「結果論」で予見可能と主張した事や電力中央研究所という電力会社9社が設立した財団法人に属しているので中立性に疑問があるというだけでなく、以下のウソや実質的な疑義があります。第一点、井上大栄氏は西暦880年の出雲地震と2000年鳥取県西部地震の被害状況が非常に似ているとされます(注2)が、これはウソです。建築物の被害については、西暦880年の出雲地震では出雲国府でかなりの被害が出ました(注3)が、2000年鳥取県西部地震では出雲国府のあった付近の被害は軽微でした。詳しく言いますと、出雲国府跡は東出雲町に隣接する松江市南東部の松江市大草町にありますが、2000年鳥取県西部地震では、松江市の家屋で全壊なし・半壊1棟、東出雲町全壊なし・半壊なし(注4)という結果でした。また、人的被害についても、出雲地震では人口の少なかった西暦880年(平安時代)に負傷者が多かったとの記録があるのに、その十倍程度に人口の増えた2000年鳥取県西部地震で島根県全域で重傷2名・軽傷9名です。これでも、井上大栄氏は「被害状況などは今回の地震と非常に似ており」などと言っているのです。どこが非常に似ているのでしょうか?これが原発推進の電力会社系研究所員の論法なのですかね?
また、逆に2000年鳥取県西部地震では島根県より鳥取県の方がはるかに被害が大きく、建築物の被害は日野町の全壊129 棟・半壊441棟、人的被害も鳥取県では重傷31名・軽傷110名(注5)と島根県の10倍以上でしたが、西暦880年の出雲地震の被害記録について私が東京大学地震研究所編集「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」 (日本電気協会)を調べ東京大学地震研究所にメールで問い合わせた範囲では「三代実録・第三十八巻」の出雲国庁からの被害報告のみでした(注6)。尚、伯耆国日野郡の被害報告がないのは伯耆国日野郡が辺境の過疎地だったからではなく当時の伯耆国司の行動パターン (注7)からして被害がほとんどなかった可能性が高いと考えられます。
被害報告を表にまとめますと、下のように出雲地震(880年)と鳥取県西部地震(2000年)で被害地域が異なるのが明瞭です。
被害報告比較表
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松江市と東出雲町の被害の合計 |
鳥取県日野町の被害 |
出雲地震(880年) |
被害大 |
被害ほとんどなしと推定される(根拠) |
鳥取県西部地震(2000年) |
被害ほとんどなし |
被害大 |
被害状況からすれば西暦880年の出雲地震の震源は島根県内にあったと推定すべきでしょう。
第二点、井上氏は、「精度の高い空中写真判読や地表踏査を実施することによって、M7クラスの地震を事前に想定する事は可能」としていますが、付近の原の前遺跡(松江市西川津町)・勝負遺跡(東出雲町)の地震痕跡(注8)の震源地や地震断層を特定せずしてそのような事を断言できないはずです。こういう論法が原子力発電所や核施設の安全性の議論で当然のように使われているのは恐ろしい気がします。
第三点、電力中央研究所の2001年版研究年報(別ウィンドウ表示はここをクリック)で断層より西側(図-3のトレンチ壁面スケッチでは右側)の花崗岩のみに乗っている見かけ上は断層運動で切られたように見える砂礫層を「断層に切られる地層」(注9)と名づけてC14分析によって問題の断層の最終活動年代を西暦880年頃とされてます。しかし、その砂礫層が問題の断層の最終活動前にすでに花崗岩上にあって断層運動によって切られたのか疑問です。対応する砂礫層が東側(スケッチでは左側)にないので、場合によっては断層より西側(スケッチでは右側)の花崗岩のみに乗っている見かけ上断層運動で切られたように見える砂礫層は断層の最終活動よりかなり後で堆積した可能性すらあります。特に、井上大栄氏が採取したC14年代測定試料の年代が比較的上位の物(T-4)(注9)より最下位の物(T-1)が新しく年代が上下で逆転してる事から二次堆積によるものだとすれば断層の最終活動よりかなり後で堆積した疑いもあります。その場合には、そもそも問題の断層が活断層か否かすら疑問だという事です。というのは、断層面にある玄武岩の岩脈が薄い事から断層が先にできて玄武岩マグマがそれにそって上昇したと考えるべきだと思われます。ところが、現在では風化・浸食のため断層面の玄武岩の岩脈のできた時に玄武岩マグマが地表に到達したかどうかもわからない状態です。玄武岩マグマが地表に到達してたらなら小規模火山ができた可能性が高いのにありませんし、地表に到達してなかったら当時は上部にある程度の地層があった可能性が高いのにそれもありません。もしかしたら問題の断層ができたのは大根島火山のできた時代よりずっと昔で、第三紀にできた断層かもしれません。すぐ近くの松江市では第三紀中新世に小規模の玄武岩火山ができたのですから。そして、問題の断層が第三紀以前の断層だったら活断層かどうかも怪しいかもしれません。もし問題の断層が活断層でないとすれば、なぜ段差があって断層より西側(井上論文のスケッチでは右側)の花崗岩の上面が低いかですが、断層より西側(井上論文のスケッチでは右側)の花崗岩は東側(左側)の花崗岩より地震による断層運動の結果かひび割れが多くより風化・浸食されやすい状態になっていたので侵食が速く進んだ結果、低くなった可能性もあるでしょう。電力中央研究所が問題の断層を活断層だと主張するには玄武岩岩脈をK−Ar法で年代測定をして第四紀の玄武岩である事を確認してからにすべきだったと思います。
第四点、井上大栄氏は、T-4と名づけた腐食質シルトを「断層に切られる地層」に含められているようですが、図-3のトレンチ壁面スケッチを拡大表示して詳細に見てみると(スケッチを見るかぎりでは)T-4の腐食質シルトは断層より西側(スケッチでは右側)の花崗岩のみに乗っている見かけ上は断層運動で切られたように見える「砂礫層」の「断層に切られる地層」でなく、実は井上氏が「断層を覆う地層」と名づけた全体を覆う中粒砂の層に含まれているのがわかります。つまり、井上氏のC14分析による立論は意図的な虚偽の疑いがあります。ここで注意すべきは、もし仮に、井上氏が「断層に切られる地層」と名づけた地層が最終断層運動前に堆積していたならば、たとえ最終断層運動前に地層が水平であっても断層運動によってへこんだりする事がありますので上下で分類すべきでなく「断層を覆う地層」が「中粒砂層」で「断層に切られる地層」が「砂礫層」でしょう。尚、そのT-4がいずれに含まれるかの分類は地震学会誌「地震」に掲載された井上氏の論文(注9)にも載ってますが(おそらく意図的に)判読不能です。 しかし、「原子力eye」という原子力の学術雑誌に掲載された井上氏の論文の分類図(注9) は辛うじて判読可能でT-4腐食質シルトが井上氏が「断層を覆う地層」と名づけた地層に含まれるのを井上氏自身も認めています。
第五点、採取した試料の年代が上位の物(T-4)が古く、下位の物(T-1)が新しく、砂礫堆積後に有機液等が流入し、地下水位が4世紀から10世紀にかけて徐々に低下(注10)したため年代が上下逆転した可能性もあります。その場合、C14分析による試料の測定年代は地層成立年代を示さないでしょう。
第六点、一般に浸食地形の根幹をなす沢筋のリニアメントが尾根を越えて続く場合には、それが断層による地形であっても、変位でなく差別浸食であって、その断層は浸食の初期の段階から存在した事になります。それゆえ、井上氏が問題の断層を発見するにあたり利用したリニアメントは尾根を越えて西伯町にまで谷筋として延びており、リニアメントを特徴づける谷筋が問題の断層の影響で形成されたものだとすれば変位でなく差別浸食であって、問題の断層は付近の山地が「幼年期」だった頃から存在していた事になります。これは問題の断層が第三紀以前から存在していた可能性が高い事を示します。そして、その事は問題の断層が活断層だとする井上氏や電力中央研究所の見解に重大な疑問を投げかけるものです。尚、井上氏は地震学会誌「地震」(注9)54(4)p.563において数十m程度の左屈曲が認められるとしてFig.3の地形図で示していますが、地形図で見る限りでは非常に疑問です。井上氏自身もリニアメントのランクをCとしているので空中写真判読によっても不明瞭なのでしょう。
問題のウソは研究員の井上大栄氏個人の小さなウソではなく、電力中央研究所やそれを設立した電力9社が原子力発電所建設を推進するための用意周到な組織的・計画的なウソの疑いがあるという事です。なぜなら、活断層のない地域で大地震が起きると言うのは原発建設を推進する電力会社にとって困ることなので活断層を鳥取県西部地震震源域付近で発見するために調査を始めた可能性が高いからです。初めから結論を決めていた疑いすらあります。そして発表の経緯ですが、初めから問題の有る「原子力発電所」というキーワードを入れて発表すれば厳しい批判を受ける可能性があるので本当は全面に出したいのにそれを表に出さずに、まず問題の有る「原子力発電所」というキーワード抜きで 記者クラブでの発表(注11)と地球惑星科学関連学会・2001年合同大会で連名で(審査が甘い)ポスター発表(注11)し、その後、「原子力発電所」というキーワードを入れて電力中央研究所自身の研究年報で井上氏個人名のみ(さすがに他の研究員らは嫌だったのでしょう)で発表しているからです。さらに、C14分析の妥当性の検討に重要な試料T-4が「断層を覆う地層」に含まれるのに「断層に切られる地層」に含まれるかのごとく電力中央研究所研究年報で表示し、他の研究員との共著の(原子力関係学術雑誌)「原子力eye」では判読困難な分類図で表示し、地震学会誌「地震」では判読不能な分類図で表示しています。これは電力中央研究所ぐるみのC14分析の不当性を隠す意図的なものである疑いが濃厚です。
尚、英語版も発表してますので日本だけでなく世界中の地震国で原発建設の免罪符になってしまう危険もあります。
また、上記の井上大栄氏のウソは原子力関連のウソ氷山の一角で、原子力関連分野には専門性と複雑性の奥にはさらに多くのウソが隠れている可能性があると思われます。
2004年5月12日
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(談話室)「オクトパスアイランド」 (お気軽にどうぞ)
(注1) 井上大栄、(電力中央研究所・2001年版研究年報)
2000 年鳥取県西部地震における地震断層の活動履歴調査
http://criepi.denken.or.jp/jp/pub/annual/2001/01seika53.pdf
井上大栄他(2001);原子力eye47(11) p.66-71:鳥取県西部地震の活断層調査
井上大栄(2003);36(9) p.26-28:立地時なみの調査をすれば断層は発見できた!
(注2) 電力中央研究所・2001年版研究年報「2000 年鳥取県西部地震における地震断層の活動履歴調査」に井上大栄氏は以下のように主張されています。
http://criepi.denken.or.jp/jp/pub/annual/2001/01seika53.pdf
>主な成果
>・・・・・(中略)・・・・・
>4. この地域では西暦880年に出雲地震が記録されている。広域での地震動、被害状況などは
>今回の地震と非常に似ており、この断層は出雲地震時に動いた可能性が大きく、
>地下の震源断層は出雲地震と同様であったことが推定された。
(注3) 日本三代実録・巻三十八・元慶四年十月二十七日の記載参照。
官舎の被害報告のある事から出雲国府に被害のあった事がわかります。
尚、出雲国府は近年の発掘調査により東出雲町に隣接する現・松江市大草町(松江市南東部)にあったと判明しています。
(Web−さんいん HP↓参照)
http://www.web-sanin.co.jp/orig/news2/9-0810a.htm
(注4) http://www.pref.shimane.jp/section/shoubou_bousai/hodo-m/C2001040901/C2001040901.htm (島根県HP)
(注5) http://www.pref.tottori.jp/bosai/seibujisinhigai.htm (鳥取県HP)
(注6) 東京大学地震研究所編集「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」(日本電気協会)に出雲地震の根拠文献が示されておらず、私が東京大学地震研究所にメールで問い合わせた範囲では根拠が「三代実録・第三十八巻」のみだったので、もし仮に宇佐美龍夫・東京大学名誉教授のが無能でいい加減な人物なら「三代実録・第三十八巻」にある出雲国庁の被害報告のみから適当にそこを震源と比定した疑いもありますが、宇佐美龍夫・東京大学名誉教授が有能できっちり仕事をしていたなら、当時の伯耆国司の行動パターンを考慮して震源を東出雲と比定したのかもしれません。ただ、宇佐美龍夫・東京大学名誉教授が「新編日本被害地震総覧」(東京大学出版会)や「わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図」(日本電気協会)で根拠文献を示しておらず東京大学地震研究所も「新収日本地震史料・第1巻」「同・補遺」「同・拾遺」(日本電気協会)で出雲地震の根拠文献を示していないのは科学文献としては問題があります。(このままでは東京大学地震研究所の門外不出の「秘伝」となってしまいます。)もちろん、歴史地震の震源を比定する作業は勘や経験にたよるファジーな部分もあり根拠を示すのは困難で面倒な部分があるのは事実ですが、今回のようにそれの正否に疑念が生じた場合において困難が生じます。その点については宇佐美龍夫・東京大学名誉教授と東京大学地震研究所には反省と改良を求めます。
(注7)日本歴史地名大系・第32巻「鳥取県の地名」(1992)平凡社p.423-424古代 [災害と争乱]↓参照。
それによれば、出雲地震(西暦880年)当時の伯耆国司が災害を逐一中央に報告して中央への納税の減免や支援の優遇措置をもくろむ(実際に優遇措置を受けた記録有り)タイプだったと推定される事や水害や不作を報告してる事がわかります。それゆえ、出雲地震(880年)について伯耆国(現・鳥取県西部)の被害の記録がないのは伯耆国(現・鳥取県西部)で被害がほとんどなかった事の裏返しと考えられます。
↓は同書p.424の当該部分のコピー
(注8) http://www.pref.shimane.jp/new/inishie/7pdf/7-38.pdf (原の前遺跡、島根県HP・PDFファイル・271KB)
http://www.pref.shimane.jp/section/maibun/pdf/map.pdf (勝負遺跡、島根県HP・PDFファイル・約1MB)http://www.town.higashiizumo.shimane.jp/iseki/iseki06.htm (勝負遺跡、東出雲町HP)
(注9) 井上大栄・宮腰勝義・上田圭一・阿部信太郎(2001)、原子力eye47(11)p.69 「CLOSE UP 鳥取県西部地震の活断層調査--詳細な調査をすれば事前に地震は予測できた」図6参照。
井上大栄・宮腰勝義・上田圭一他(2002); 地震 54(4)p.572「2000年鳥取県西部地震震源域の活断層調査 」 Fig.11 参照。
(注10) この事は地下水位が採取試料付近まであったという意味ではなく、毛管現象で採取試料付近まで上昇し乾燥により濃縮し微生物により地下水中の有機物質が固定された可能性が高いように思われます。尚、地震学会誌「地震」や原子力関連学術雑誌「原子力eye」にも井上大栄氏の共著論文がありますが、それらには問題のトレンチの裏側の露頭のスケッチがありますが、そこでも同様の年代の上下逆転が見られます。
(注11) 記者発表:
電力中央研究所HPの広報記事↓によれば記者発表した事がわかります。
http://www.energynews.net/2001/0420/010420e16.html
2001年地球惑星科学合同大会ポスター発表:
井上大榮・上田圭一・宮腰勝義・宮脇明子、(2001年地球惑星科学合同大会)
2000 年鳥取県西部地震の位置と規模は事前に評価可能か?(その 1)-震源域周辺の断層変位地形-
Landforms associated with strike-slip faulting in the epicentral area of the 2000 Western Tottori earthquake
http://www-jm.eps.s.u-tokyo.ac.jp/2001cd-rom/pdf/s3/s3-p014.pdf
井上大榮・上田圭一・宮腰勝義 ほか、 (2001年地球惑星科学合同大会)
2000 年鳥取県西部地震の位置と規模は事前に評価可能か?(その 2)-震源域周辺の断層破砕帯と活断層露頭-
Fault exposures dislocating late Quaternary deposits in the epicentral area of the 2000 Western Tottori earthquake
http://www-jm.eps.s.u-tokyo.ac.jp/2001cd-rom/pdf/s3/s3-p015.pdf